[展評]出来上がりの心地よさに潜む危険性=バウハウス展
※このエントリの画像はflickrへのリンク
東京藝術大学美術館で開催されている(2008年4月26日〜7月21日)、バウハウス・デッサウ展のブロガー向け特別鑑賞会に参加してきました。
今回はアート系、先月参加したエプソンの企画もそういう方面。ギークな世界でなく、こういったジャンルでもブロガーを積極的に使う動きがあるようで、嬉しい限りです。さすが、主催が「web first」の産経新聞社です。
私が最初に垣間見たブロガーたちがテクノロジー系だったため、ブロガー界の狭さを感じていたのですが、今日の来場者は年齢も見た目もバラバラ。メディアとしての限界論も出ているブログですが、多くの人はブログで今日食べたもの以上のことを書き、現実と関わりたいのかもしれません。広がるだけ広がった後、内容の深化が起こっているのでしょうか。ブログは、まだまだ行けるかな!?。
ーーー
展覧会そのものの感想は、
見慣れている故だろうか、椅子を見ると安心感というか心地よさを感じてしまう。「あー、バウハウスだ」って感じ。が、作成当時それが革新的であったとすれば、その作者は今までにない感覚、ある種の違和感さえ持ったのではないだろうか。
逆に言うと、我々が何かをデザインし、出来上がりに心地よさを感じたとしたら、それは危険ということだ。その居心地の良さは、すでに良いとされスタンダードになった要素から受ける影響が大きい。既存の、良いとされている枠に上手く収まったことに無批判であってはならない。
不安定や違和感、不均衡、先鋭さといった落ち着かない感覚といかに付き合うか、制作者として考えさせられる。
その観点からもう一度作品を見直すと、今見てもそういった感覚を与える作品と、現在スタンダードになってしまったため、過去にさかのぼらないと分からない作品があることに気づく。とりわけ後者は、バウハウスの最終目標である建築や工芸に多い。つまり「ここがこの既視感の源流だったのか」と。
バウハウスのデザインとして一般的に評価されるものに私があまり面白さを感じず、その過程上に位置づけられる制作物、特に写真やクレーの絵画、あるいは実現し得なかったプロジェクトに興味をひかれてしまうのは、その辺が理由かもしれない。
総論としては、バウハウス史の一時代であるデッサウに特化しつつも、これ一つでバウハウスの多様性を見ることが出来る貴重な展覧会であった。
ーーー
今回のブロガーイベントは、「一定の条件の下」で撮影が可能でした。個々の作品を撮らない、フラッシュ禁止、人の特定が出来る撮り方をしない・・・
結構、皆さん係員に注意を受けていました。私も注意されました。(→これがその時の「問題作」)個々の作品を撮っているのではないかと。バウハウス風に遠近感をつけた構図を狙っていたのですが、「作品の著作権が」とのこと。そもそも三脚も照明もなく、高感度を余儀なくされるスナップレベルの撮影で、原著作物の権利が侵害されるものを作れるとは思えません。
撮影OKは画期的でしたが、いらぬトラブルを避けるためにも、撮影可能な作品を限定するなどの工夫が必要だったのではないでしょうか。お互い、心理的負担が軽減されます。
追記:IZAでこの模様が取り上げられています。http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/156270









Pingback: 前村記念博物館ブログ