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出力されたデジタル写真は新しく特別なものか?

2008-11-08 10:24 AM カテゴリ:digitalphoto-techniques, drops-of-light, exhibition, inkjetprint-technique

 展覧会の反響を受けて思ったことを書きます。
 まだ考えはまとまっていません。このエントリ内でも自家撞着している部分もありますが、メモ書きのような位置づけとして…

 10月20日から26日まで行われた展覧会の写真について、まず言われたのが「これ写真?」ということだ。(良くも悪くも)写真でないのだろう。見た人にとって、写真と認める要素がいくつも欠けているのが原因だ。
 まず絵柄として、抽象度が高い。言葉による補足なしに被写体が何かを判断しがたい。
 次に表面効果。和紙ベースで、表面にテクスチャーがありながら光沢感がある、ピクトランという紙。一般的な写真に多い光沢滑面と全く異なる質感を出している。
 しかしそれでも平面作品として存在している。つまり、写真として見たことがないというだけのことだ。この作品が従来の写真概念を飛び越える革命であったわけではない。逆にベーシックに写真に取り組んだ結果だ。おそらく、私が思う写真の基礎部分、デジタルの特徴・長所の活かし方が、若干常識とずれているのかもしれない。

 デジタル写真というが、そもそも出力された時点でプリントという物体として捉えるべきだろう。デジタル、アナログ(銀塩)に関わらず。
 私はネイティブではないが、デジタルへの移行をスムーズに行えた世代だ。大学の頃は暗室でバライタ紙と格闘した経験を持つ。2002年ニコンサロンで展示した「裏山」では、(年齢の割に)プリントがしっかり出来ていると評されたものだ。デジタルを新しいものと見なしてはおらず、所与の技術として存在していた。

 一方、先行世代は、アナログ・銀塩に対するノスタルジーに満ちあふれている。すなわちゼラチンシルバープリントを絶対的な基準と見なす傾向が強い。
 彼らはフィルムの粒子は美しいと認めるが、デジタルのノイズや解像度(解像感)はマイナス要因であり、それゆえ審美的に劣ると考えているようだ。(それゆえマーケットにおけるデジタル写真の価値も上がらないのだろう。)
 だからこそ、デジタル(インクジェット)プリントでは、そうでない、彼らに言わせれば「思い切った」「大胆な」見せ方があるのではということだ。まず欠点ありき。それを覆い隠す何らかの方法が、デジタルの長所を生かすことだと。つまり、インクジェット出力により大型プリントはさらに身近になった。デジタルの欠点も、こういった表現に関しては「別のものとして」「新しい写真として」認めてもいいという立場なのだろう。

 それはもちろん魅力かもしれないが、たいてい「変わった写真」で終わるだろう。彼らがマイナス要因と見なすノイズや解像感の欠如・・・こそ、デジタルの美点である。(なければないで、そのフラットさもまた美しい) 私は純粋にデジタルのこういった長所を生かしているつもりだ。
 今回の展示では、アンセル・アダムスのプリントが入っていてもおかしくないような、伝統的な額装を行った。正攻法で、同じ土俵で勝負を挑んだ。少なくとも本作においては、デジタルに基づくワークフローが作品として最高の価値を示している。銀塩と比較すること自体無意味だ。そもそも銀塩の手法ではこの輝きは表現し得ない。
 
 デジタルからのプリントは、表現上数多くある選択肢の一つでしかない。デジタルだからと言って何か新しく奇抜で特別なことをする必要はないのだ。ましてや、写真プリントと言えばゼラチンシルバーしか知らない人間は、写真史における多様なプリント技術に対する理解の欠如と言うしかない。

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