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【読書】ゆったりした時間の流れという動的な写真たち

2008-11-05 10:51 PM カテゴリ:review-books

パーティー 4日、ギャラリーコスモスで新山清さんの出版記念パーティーに参加してきました。

 新山清さんというのは、私もお世話になっているコスモスインターナショナル新山社長のお父様でいらっしゃいます。1936年から30年間にわたる写歴の中で、同時代の様々な潮流の影響を受けながら撮影を続けてこられました。

 中でも注目すべきは、あのオットー・シュタイナートの主観主義写真展(Subjektive Fotografie・1952年?)に作品が招聘されており、エッセンのフォルクヴァング美術館に作品が収蔵されていることです。日本では主観主義写真やオットー・シュタイナート自体あまり知られていませんが、バウハウスからデュッセルドルフ・クンストアカデミーに連なる20世紀ドイツ写真史(注1)の中でも重要な写真といってよいでしょう。個人的な話をすれば、私はオットー・シュタイナートの名前を知っていたことで、新山社長に覚えてもらったようなものでした。

 日本語で主観主義写真と言うと誤解を招きそうな言い回しなので、それは置いておいて、本題(注1)。そう、本について。『新山清の世界 パーレット時代』と名付けれれた本書は、パーレットカメラで撮影された戦前戦後の写真を集めたものです。

 まず最初に書いたとおり、1930-40年代のアマチュア写真家として、同時代の写真表現の空気を見て取ることが出来ます。(この時代のアマチュア写真家とは、今日、表現において最大級の賛辞をもって語られる人たちといえます) 今風の言い方での作家性、たとえば同時代のスター小石清や中山岩太などと比べてしまえば、個性を示す強烈・明確なメルクマールがないでしょう。またその後の写真界を席巻した、いわゆるスナップショットのような対象との近接性でもありません。

 この写真はむしろ70年代のコンポラ写真に通じるような、少し引いて包み込むような視線で対象を見ています。そこにあるのはクールで即物的というよりも、丁寧に丹念に、被写体を見つめていた写真家の姿です。写真は一瞬を切り取ります。しかしこの作家の写真には、高速という意味ではないダイナミックさ(=動感)があります。写真の中に、その前後にあったであろう非常にゆっくりとした時間の流れが、一つの消失点として写り込んでいるようです。これを余韻や行間と言い換え、あるいは詩歌的と形容しうるものか迷います。写真は写真ですから。中には焦土を思わせる焼け跡の写真もあります。が、多くはあの時代の地方都市に流れていたであろう、ゆったりとした時間が投影されています。この魅力は、いくら強調して足りないことはないでしょう。

 写真集を手に取った方はきっと、一見素朴で見過ごしてしまいそうな写真の中に、ふっと引き込まれる豊かな世界を見ることが出来るでしょう。既に続編として、今回のパーレット以外で撮影された写真集の刊行計画もあるとか。とはいえ私はこの作家については、カメラで写真を見ないと思います。

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注1:ドイツ写真の歴史については、こちらに概要があります。(Goethe-Institute ドイツの写真芸術の現状)
注2:主観主義写真の日本における受け取られ方についてはこちらのサイトに詳しく書かれています。(上野修氏のサイト)

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一般発売はいつだろう。このエントリを書いている時点では発行元の日本カメラ社のサイトにもamazonにも出ていません。
展覧会の詳細はこちら(ギャラリーコスモスのサイト)

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